これは、仕事の世界でも、他の世界でも言われることです。
「自分で決めたなら自分で責任をとれ」
これは当たり前と思っていますでしょうか?
それとも、責任転嫁したり、責任をとらなくても構わないと思うでしょうか。
常識的?な人は、「自分で決めたのなら、自分で責任をとるのは当たり前」だと言うでしょう。
たぶん、多くの人はこれを信じています。その証拠に、自分で決めてもいないのに「責任はお前にある」と言われた時に、怒り、憤り、恐れなど、ネガティブな感情を感じるからです。
決断とは、何かをするという意思表示です。
では、責任とはなんでしょう?
たいていの場合は、責任は、責任をとる事柄に関係する人間が満足できる(許してくれる)ように、何かをすることです。
例えば、自分が友人から借りた食器を割ってしまった。責任をとって同じものを買って、友人に返す。
ですが、私が思う真の責任は、ちょっと違います。
もちろん、責任をとる行為としては、食器を買って返すのはよいと思います。
もし、お金がないからといって、ずっとそのまま何もせずに放置をしたとします。
この時に、たいていは責任をとっていないと見なされるでしょう。
ですが、この時に、食器を割ってしまった人間が、感じる感情はとてもつらいものです。食器を壊してしまった友人に対して、罪悪感を感じてしまうでしょう。
それは、長く続くかもしれませんし、すぐに消えるかもしれません。続くとしたら、これは、壊された相手が、許してくれるまで続くかもしれません。
ですが、いずれにしても、ネガティブな感情を感じます。
私は、経験においての責任とは、その経験において感じる感情を感じることだと思います。
感情を感じ切らないで、くすぶっているなら、責任を果たしていないんです。
過去のことを現在に持ち出して、それに対して悩んだり苦しんだり不安を感じるのは、感情を感じ切るという責任を果たしていないからです。
特に責任に対して相手がいる場合、相手の感情もからんできます。
注意したいのは、相手から許された時に、責任をまっとうしたことになるのではありません。自分で自分を許した時に、責任をまっとうしたことになり、結果的に、ネガティブな感情を感じなくなるということです。
ただし、現実的な対応とては、ちゃんと食器を買って友人に返すのがベターです。
その方が早く感情がスッキリしますし、友人との関係も良好ですからね(^^)。