禅の本を読んでいた時の気づきです。
禅問答というぐらい禅では問答がたくさんあります。
公案と呼ばれるものです。
「自分とは何か?」
「一切衆生皆仏性有り(みんな仏だよ)」
とか。
公案の本質は、自分で悟るためのやり取りです。
ですが、答えは固定していません。固定した答えなどないんです。
正解はあるが固定されてないし、以前正解だった答えがが不正解になったりします。
1+1=2ではなく、1+1=xxだったりします。
ですがそもそもこのような問いを発することに迷いがあります。
迷いがなければ問いがありません。