「魅力的な人を求める」意味
6月 23rd, 2014 by Atom
例えば、自分から見て、すごい美女やとてもかっこいい美男など魅力的な人がいると見つめてしまいますよね。
なぜ見つめるのかというと、見つめることが心地よいのです。その心地よさを味わいたくて、見つめます。
*見つめる行為は相手から魅力を奪う、そして、さらに言えば、相手と自分を同化して、相手そのものになろうとする行為です
そして、見つめるだけで物足りなくなると自分のものとしたくなります。具体的には、話してみたいとか、触れてみたいとか、それがさらに進むと、デートをしたい、付き合いたい、結婚したいとどんどん求める欲求が強くなります。このように最終的には、一体感を味わいたくなります(実際は幻想なのですが。だってもともと一体なので)。
この時に、求めるのは、相手が自分に心地よさを与えてくれていると思うためです。ですが、実際には、違います。
相手はきっかけです。自分の中に心地よさを感じるドーパミンという物質を作る部分が脳内にあり、それが「見つめる」という行為を通して、活性化されることで、心地よくなります。だから、魅力的な人はきっかけに過ぎません。内部に元々心地よさを感じることができる原因を自分で持っています。
本来なら、自分だけでも心地よさを味わうことができますが、それを引き出すことが自分でできないため、もしくは、できると知らないから、外側に求めるんです。
これは、人だけでなくものでもなんでも同じです。そして、外側に求めることを欲といいます。
仏教では愛と言う言葉を良い意味では使いません。なぜなあら愛も欲だからです。
ただ、魅力的な人を見つめてしまう行動自体を抑制するのは、かなり難しいというか無理です。なぜなら、勝手に反応してしまうからです(笑)。
自分だけで満たされてると感じない限りは、外側に求めてしまうのです。もし、外側に求めずに済まそうとすると、内側を満たす必要があります。内側と外側は同じだからです。
男性が女性を求めて、女性が男性を求めるのは、ある意味自然です。なぜなら、自分の中に不足感があるからこそ、求めるからです。
不足感がないと、求めようとは思いません。