存在しなくなるという恐怖
12月 10th, 2013 by Atom
今日、ヨガをしている時に、存在しなくなるということに対する恐怖を感じました。
ありていに言えば、死ぬことへの恐怖です。
久々に感じました。
死は意識すればすぐそこにあるんです。
こういう恐怖感は何度も感じています。
例えば、水泳。以前は、水が怖くて泳ぐことはおろか水の中に入ることも怖かったんです。小学校の3年の水泳の時に、水に入って、「死ぬ、死ぬ」と叫んでいました(笑)。
でも、この時は本当にに死んでしまうと思えるぐらいの恐怖を感じていたんです。
この恐怖感を感じていると、いてもたってもいられなくなり、誰かに助けを求めたくなります。自分ではどうしようもできないけど、どうしてもこの状態から抜け出したいと思うからです。
今回は、誰も助けてくれる人がいるわけでもないので、「存在しなくなるという恐怖を感じている」ということを意識しました。客観視ですね。
すぐにはないですが、しばらくすると落ち着きを取り戻しました。
普段は、死を意識しないわけですから、恐怖を感じませんが、意識するととたんに恐怖は訪れます。
これは、たぶん私だけではないでしょう。
死ぬのが怖くない人は、死を意識していないか、死を克服している人です。
さて、死が怖いのは、自分が死ぬことに対してだけでなく、他人が死ぬことに対してもあります。
愛する人が死んでしまうととても、悲しいと感じます。だからこそ、自分ではなく、他人の死に対しても恐怖を感じます。
このような、自分や自分が愛する人達が存在しなくなることへの恐怖はなかなかなくなるものではありません。
ですが、冷静に考えると、存在しなくなるつまり誰もが死ぬことはあたりまえであり、避けようがありません。
ですから、このことについてあれこれ考えても仕方がないんです。
ですから、もしこのような恐怖を感じたくないなら、そのようなことを考えなければいいだけです(私達は普段これを実際にやっています)。
あとは、逆に死について徹底的に考えて感じることです。ある意味、死について慣れるってことです。そして、受け入れることができたら、死について恐れることはそんなになくなるのではないかと思います(実際に自分が死を受け入れて、死が怖くないわけではないので、憶測です)。
死が怖いのは、死を受けれていない、死ぬ覚悟ができていないからです。また、死についてわからない。だから怖いというのもあるでしょう。死んだら、魂となり永遠に生きるって心から信じることができるなら怖さはないはずです。
昔読んだある本の中に、生きることと同じぐらいに死ぬことを考えた方がいいよって書いてありました。
たまには、じっくり考えてみるのもいいかと思いますが、実際に死を意識すると、生つまり生きることがいかに素晴らしいかということを実感し、感謝の念が湧いてきます。
永遠の時間の中で、人の人生はほんの一瞬。ですが、このほんの一瞬がいかに貴重で、素晴らしいものか。
これを意識すると、とても幸福感を感じます。
私達は意識したそのものになるってことですね。
何を意識するかは自分で選べばいいです。
意識的に生きること。
それがまさに私達が今ここにいる理由なのでしょう。