人ならついやってしまうがちなことがあります。
それは、人を批判すること。公然と批判することもあるし、かすかに心の中で批判することもあります。
そのベースにはいつも
「あいつは間違っている」
という思考です。
自分と同じ考えだと、その通りだと共感して満足感を得ます。が、自分と違う考えだと「あいつはおかしいんじゃないの」と抵抗感を持ち嫌悪感を持ちます。
私もこれをよくやってしまいます。常識的に見てもそうだし、人道的にも倫理的にも自分の考えが正しい。あいつは違っていると。
正しいとか間違っているとかがある二元論の世界では当たり前の風景です。
ただちょっとこれ自体を観察者の視点で観察してみると、
間違っている人にも間違っている人なりの理屈があるってことです。それはその人なりの理屈であり、受け入れがたいと感じてもその人にとっては、それが正しいまたは、そうせざるを得ないことないのです。
では、間違っている人でも認めてあげるのがよいのでしょうか?
思考はこう考えます。ですが、これ自体も思考に過ぎません。
思考はある結論を導きたがるのですが、正しい答え自体が価値観により変わるので、真の答えなど導き出せません。
答えのない答えを探しているようなものです。
でも、時間軸に生きているのですから、批判したいと感じた時どうすればよいかという答えを知りたくなるかもしれません。
まずは、自分が批判したいと感じてることを観察することです。何がそうさせるのでしょうか?これに気づくと、批判したいという気持ちが消えていきます。
これが答えです。
批判をするとか、しないという答えそのものではなく、問いそのものを見つめるんです。
つまり、問い自体が煩悩ということですね。