今、気づきましたが、昨日は投稿するのを忘れてしまいました。
たまに、あります(笑)。
昨日は、コーチング仲間とのランチ会をしました(3人会)。
まあ、いろいろなお話しをしたのですが、それぞれが自分の考え方、感じ方をしています。
この時、何がよくて何が悪いということはなく、ただ、それぞれが自分の中にあるものを表現しているだけです。
だから、すべてが完璧です。
すべてに対して完全性を見る時、とても心地はよくて、リラックスできます。統合されている感覚があります。
すべてに対して価値判断して、自分と他者の違いに意識をフォーカスすると、本来のありのままの自分でないものになっています。分離されていて、分離から感じる恐れがあります。
完璧であるという意識から見ると、統合されていても、分離されていても、完璧で、起きることが起きています。
今朝、あらためて気づいたのは、執着は今にいないことなんですよね。
思考に走る時、過去を思い出したり、未来を想像したり、いずれにしても今にはいません。
意識がどこにあるか?
今のこの瞬間にあるかどうか。
意識が今にある時には、今しかなくて。
たぶん、さらには、自分さえもなくて。
自分がないんだけど、気づいている。
この部分は、まだそういう感覚にはなっていませんが、我を忘れて何かをやっていたり、大笑いをしている時などは、自分がないですが、そんな感じかもしれません。
意識すれば自分があるけど、意識しないと自分がない。
ここに書いていることも思考の遊びかもしれません(笑)。