この世界が完璧だということは、すべての経験が、許されています。
善悪どちらも、OKだし、それが許されています。
私達は自分の価値観というフィルターを通して、世界を観て、感じて、思考して、それが経験となっています。
ある意味、善悪は、経験をより詳しく味わうための手段のひとつと言えるでしょう。
では、完璧だという視点の上では、どんな悪いことをしてもいいのでしょうか?
そもそも完璧だと許されているので、「悪いことをしてもいい」となります。ですが、「悪いことをしなくてもいい」のです。
そもそも、完璧なので、自由であり、善悪そのものを区別してもしなくてもかまわないのです。
ただ、人間の視点では、どちらかを選んだりするわけです。
たいていは、善を選ぶことが多いでしょうし、たまに悪を選んだりして、罪悪感を感じることもあるでしょう。
でも、それも完璧です。
どんな経験も完璧であるという視点に立つなら、まさに自由です。
ただ、自由でないことを選択する自由もあります。
この三次元世界は、まさにそうですね。