経験を思考で理解することと、感じて理解することは違います。
思考で理解することは、経験そのものではなく、経験をある一定の観点から解釈しているに過ぎません。
ですから、経験したことを思考で、説明しようとすると、ひとりひとり異なる説明にになります。
質問の答えは回答する人の数だけあるというのと同じことです。
ですが、直接経験を感じる場合は、同じように感じます。なぜなら、一切の観点がないためです。
まさに、”それだけ”ということです。
悟りや覚醒した聖人や目覚めた人が感じていることは、まさにそれだと思います。
直接体験するとそこに解釈や論理や説明や矛盾が一切ない状態です。