「ありのままを受け入れる」
「悩むことも愛」
などというタイトルで記事を書きましたが、やはり
「受け入れるのが困難」
と感じる時があります。
私の場合は、家族に対してなんとか自分の理想の姿になって欲しいと思って、「家族を変えよう、変えよう」としてしまっていることがあります。
理想の姿と現実の姿のギャップが大きければ大きいほど、苦しみとなりそれを感じます。
まあ、この苦しみを感じることが経験なんだと受け入れるなら、それはそれでもよいのですが、これは、まさに現代版の修行僧のようなものです(笑)。
苦しみを逃れようとすると、誰かに頼りたくなります。それは、神様であることもあるし、他の何かや人かもしれません。
ある友人に話したところ、いろいろ話す中で
「どうでもいいじゃない」
という言葉がその友人から出てきました。
いかにも無責任な言葉のように聞こえますが、どうでもいいということは、そのまま受け入れるということと同じことなのです。
私の中に「責任感」とか「正義感」がしっかりとした信念となっているのを感じました。
これは、社会生活を営むのにある意味とても役立つのですが、時にはこれらが重石(おもし)となり心を蝕むことがあります。
私のこの信念があるために責任感がない人を見ると怒りを感じてしまうのです。
どうでもいいと思えるなら、怒りは生じません。
正しさを主張すると、その正しさに縛られて限定されます。そして限定されることが苦しみを生むのです。
もちろん、あえてそれを選んでもいいのでしょうが、私自身はもう捨てようと思います。
正しいとか正しくないとかよりも、楽しいか楽しくないか。
相手を変える必要はなく、自分が変わりたいように変わるだけ。
不要な信念や古い考え方を変えることで、新しい自分に変化をしていきます。