因果とは原因と結果です。
花は水がないと咲きません。花には水が必要です。
また、花には土や適度な温度も必要です。
でも水や土や温度は花が咲くための原因では、ありません。
花が咲くのは花だから咲くのです。石なら花が咲きません。
つまり、花であることは因となります。
では、水や土や温度はなんでしょうか?
これらは、条件です。この条件を縁と言います。
誰かの言動に傷ついたり、怒ったりする場合を考えてみましょう。
この場合の因は、自分の中にあります。決して、誰かの言動ではありません。
言動は縁です。
自分の中の因をなくせば、どんな縁があっても傷ついたり、怒ったりすることはないということです。
この自分の中の因とは「信念、思い込み」です。
これをなくしていくことが、因をなくしていくことです。
釈迦は因をなくすために、客観視つまり、4つの聖なる真理の1の気づくことを説いています。
例えば、殴られる場合です。
最初に身体的な痛みを感じ、その後に怒りや苦しみを感じるはずです。
まず最初に身体的痛みを感じた時にそれを客観視します(気づくということ)。すると精神的な痛み(怒りや苦しみ)を感じるところまでいかなく済むようになるということです。
これは、実際にやるとなるとなかなか大変ですよね。私達は瞬間的に反応してしまいますから、客観視する前に、怒りや苦しみの感情を感じてしまうのです。
ただ、これも習慣化するとできるようになってくると感じています。
日頃から、客観的に自分の心の状態を見つめる癖をつけるのです。
これは、ハイヤーセルフの視点になることと同じだと思います。
高い自己の意識は私達の行動や感情を観察していますから。
感情と意識を分離して観察モードになることです。観察しているのが本当の自分で、感情は自分ではなく、反応している自分の分身のようなものです。